転職・就職類義語辞典

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講話とは?

[ 119] 稲盛和夫経営講話シリーズ|KCCS
[引用サイト]  http://www.kccs.co.jp/products/lecture/index.html

ベンチャー企業として京セラを創業して以来貫かれてきた経営者のあるべき姿、経営哲学を、稲盛和夫が自身の実体験をもとに語ります。 CDシリーズ、ビデオシリーズ、永久保存版のCDセットをご用意しています。
不況の時につける特効薬はない。好況の時から備え余裕のある経営ができていれば不況期こそ次への飛躍へつながる。
能力の差で人生が決まるものではない。真面目に働く熱意と明るい前向きな考え方が相乗効果をもたらす。運命も考え方一つで変えることができる。
目標を常識の超越したところにおき、限界に挑戦し続ける。勝つ経営とは、マラソンを100メートルダッシュで走るのと同じである。
経営者には、人の喜びを自分の喜びと感じ、人の悲しみを自分の悲しみと感じられる利他の心がなければならない。
企業はトップの「思い」で決まっていく。トップは、人間の無限の可能性を信じ、強い願望を持ち、その実現に向け努力を重ねることが大切である。
会社経営で経営者に求められるものとは何か。実体験をもとに、経営者のあり方、指針を示唆する「経営問答」の第二弾。
新規事業を展開する時の判断のポイントとは。厳しい経営環境の中で進むべきか退くべきか。その判断基準とは。
自分より能力のある人材への対応は。中小企業における後継者の世襲制について。社員の個性と会社の個性の調和とは。
経営者としてどのような心掛けで経営に臨まなければならないのか。レンズ製造という3Kの最たる現場での成功事例を通して語る。
自然界での法則を例に、これからの世界で日本がグローバルな展開をしていくためにはどのような考え方が必要なのか。
真のカリスマの姿とはどのようなものなのか。人を導くにはどのような姿勢、判断基準を持つことが必要なのか。
企業経営には、その判断基準となるべき哲学が必要である。そして、他を思いやる「善の循環」こそが成功へ導く。
第18巻「リーダーのあり方」をさらに掘り下げ、経営者として大成するための4つの条件や、日々の思いの持ち方について紐解く。
経営はトップの「考え方」と「意志」で決まる。トップの考え方は企業における判断基準になる。判断の基準を決めてきたものは何か、事例に基づき紐解く。
強い意志とたゆまぬ努力を持続させ、明るく前向きな姿勢で臨めば誰もが必ず経営を成功させることができる...。「経営の原点12ヵ条」。
人生を幸運に生きることができるかどうかは、人間が本来もっている心の一番奥底にある「真我」の部分が大きく影響している。
二宮尊徳の勤勉さ・働くことの教えについて事例をあげ、いかにすれば事業を拡大することができるかを語る。
幸せな人生・豊かな企業経営はすべて人の心が醸し出すもの。自分の人生や事業も、その人が持っている心の反映そのものであると語る。
人生の目的を明確にすれば、迷いがなくなり確信に満ちた人生を歩むことができる。自らの人生を振り返り語る。
京セラ創業間もない頃から稲盛和夫が唱える会計に対する原則、京セラ会計学。稲盛自らその原則一つ一つについて当時の体験談を交え、設定の背景と、高収益を生む会計について3部作に分け語る。
人生はいかにあるべきか、運命を変えるとは。大きな影響を受けた安岡正篤先生に学んだこと、自らの事業経験をもとに語る
人間の本質は洋の東西を問わず同じである。素晴らしい関係を築くには、相手を思う「思いやりの心」で共に生きていこうとすることが大切。
労働とは報酬と同時に心の豊かさを得るものである。働くことの意識を改めて問い、誇りを持って利を求める正しい道について説く。
なぜ、京セラフィロソフィを大切にしていたか、考え方が人生のすべてを左右する、「こころをベースとして経営する」、「公明正大に利益を追求する」ほかを収録。
「宇宙の意志と調和する心」、「愛と誠と調和の心をベースとする」、「きれいな心で願望を描く」ほかを収録。
「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」「真の勇気をもつ」「闘争心を燃やす」ほかを収録。
「製品の語りかける声に耳を傾ける」「一対一の対応の原則を貫く」「ダブルチェックの原則を貫く」ほかを収録。
今日までの京セラグループの発展は、京セラフィロソフィをベースとした「アメーバ経営」の実践にある。アメーバ経営誕生の経緯を振り返り、その目的・要諦について紐解く。
経済社会の活性化には、ベンチャー誕生を推奨する社会の雰囲気が必要不可欠である。自ら中小零細企業として京セラを創業し今日に至った歩みを振り返り、ベンチャービジネス成功の要諦を語る。
人間は「運命」と「因果応報の法則」で織りなされる波乱万丈の人生を生きていく。その人生で起こる様々な事象にどのように対処するか、また人生の目的とは何か。
高収益は不況に打ち勝つ抵抗力と耐久力をつくり出す。つまり好況のときから不況に備える経営が必要である。では景気低迷が続く現在、いかにして不況を乗り切るか―。
人生を幸せに生きられるかどうかは、その人の努力次第である。波乱万丈の人生を通して、人は心を磨き、そのことが素晴らしい人生に導いていくのである。
集団を導くリーダーの判断は、その集団の盛衰を左右する。企業経営者やリーダーの判断基準、人格、倫理とはどうあるべきか。世界中で相次ぐ企業の不祥事に警鐘を鳴らす一巻。
いまだ社会に残る、経営者に対するネガティブな通念。しかしそれは、正しい経営を行う者にとって反論すべきものである―。高い倫理観と道徳観に裏打ちされた「真の経営」のあり方とは何か。
素晴らしい人生を送るためには、心に描く思いが常によきものでなければならない−。普遍の原則を、今、改めて紐解き、経営トップとしてその思いを訴え続けてきた姿を、京セラの全社スローガンに込められた「思い」と共に振り返り語る。
常に心を磨き純化させることで、理性と良心、利他のレベルで物事を考えることが、成就の可否を決めるものである。人間の持つ心の多重構造を説き起こしながら、心の奥底から発せられる「心の信念」について紐解く。
経営を安定させるには、何事も堅実に正道を歩むしか道はない。しかし堅実に進むためには時には勇気が必要である。
今日の京セラをつくったとも言える西郷南洲の思想「敬天愛人」について、自らの経験と西郷南洲遺訓集をもとに紐解く稲盛経営哲学の原点。
稲盛和夫が自らの体験の中から学び取った「成功は宇宙の摂理に適う」という考え方をこれから伸びようとする企業の方々に語ったもの。経営者として大成していくための4つの条件を示すとともに、どのような思いで日々取り組めばいいかを語る。
経営者の条件を満たすポイントとは何か。判断基準となる経営哲学を持つことの重要性や人間の本質の理解が重要であると語る。
まとめてご購入いただく際に便利なCDセットをご用意しています。各セットとも、講話内容をまとめたガイドブックを付属。永久保存版としてぜひお勧めです。
2006年4月1日、KCCSでは、経営コンサルティング事業本部を分社化し、弊社100%子会社「KCCSマネジメントコンサルティング株式会社」を設立いたしました。
当ページでご案内するサービスにつきましては、KCCSマネジメントコンサルティング株式会社よりご提供いたします。

 

[ 120] 知事講話
[引用サイト]  http://www.pref.iwate.jp/~enjutu/else/oct.html

皆さん、おはようございます。
今日は、知事講話ということでございますので、私の方から、いくつかお話を申し上げたいと思います。

地方分権、地域主権を考える

はじめに、いわゆる地方分権、私どもでは地域主権という形で使うわけですけれども、地域のことは自分たちで責任をもって判断をするということ、これは、この3、4年いろいろなところで議論もされ、そして、また、その方法論について、どうしたらこれが実現できるのか、といったようなことが言われているわけです。
今、国全体の状況を見ますと、経済が非常に具合が悪く、税収も伸び悩んでおります。これは、即、県財政に影響が出てくるわけでありまして、大分前から予算編成のたびに、「来年度予算は非常に厳しいですよ、厳しいですよ」ということが言われ続けてきたわけですけれども、ほんとうに首が回らなくなってきたというギリギリのところまできております。もう既に、そのギリギリのところを遙に突破してしまったような自治体も出てきているわけでございまして、何年か続けて人勧もカットしなければならないという自治体も出てくるようでございます。いずれにしても地方におけるこうした税収の伸び悩みというのは、非常深刻な事態になってきているというふうに思うんです。こうした時に、我々は何をしなければならないかというとをよく考えてみる必要があると思います。
ここで、予算を例にとって話してみたいと思います。こんな場合には、予算編成にあたっては、事業の重点化を図り、緊急度の高いもの、必要性の高いものに予算を集中投下をしていく必要があります。例えば、公共事業について申し上げますと、公共事業についての様々な議論がある中で、今までは確かにあちこちバラまいてきたという実情があったわけです。あちこちに手を広げてしまったために、年間に何百メートルずつしか、あるいは、片側ずつしか工事が進まないとか、いつまでたっても河川改修が終わらないとしか思えないようなところがいっぱいあって、それで事業の意味合いというものも薄れてきてしまったと批判されているわけです。今は、こういうことについて全部見直しをかけて、事業の重点化を図るということが特に求められている、そういう時期だと思っております。

これからは事業の重点化を図る時代

ところが、冒頭申し上げました地方分権とか、地域主権との関係でいうと、やっぱり、ここで、国全体の仕組みをもう一度しっかりと見直しをしなければだめではないかと、最近、私自身は痛切に感じております。
例えば、分かりやすく言えば、県内のいろいろな地域で様々な事業が展開されているわけで、地域によっては、港湾建設を行い、その脇で道路も整備をし、それから、土地改良も行うといったように様々な事業が同時に入り込んできている。このような地域で、事業の重点化の決定を行う主体は地域の人たちだろうと、私は思うんです。また、事業の重点化を図る上で大事なのは、優先度、すなわち整備の順番を付けていくということだろうと思います。本気で地域のことを考え、例えば、ここでは先ず道路が重要だなということで、最初道路網を整備し、その上で次にその脇に工業団地を造るとか、また、土地改良事業を実施して生産効率を高め、農産物を外に売り込むんだとか、地域の将来ビジョンを真剣に考えて、ほんとうに事業を重点化できるかどうかということです。しかしながら、今の仕組みから言いますと、一つの事業に特化するということは、ほかの事業の優先順位を下げることになり、これは地域にとって非常に辛い選択でありますが、重点化という意味は、素直に考えれば、やはりそういうことだろうと思うんです。ところが、他の事業の優先度を低めるということが、本当に地域で可能だろうかどうかという問題があります。仮に、土地改良の順番をその地域では第二順位にして、先ず道路整備が第一だということを言ったら、建設省の道路局は大変喜ぶでしょうけれども、農水省はおもしろい筈はなくて「それだったら、あなたの地域ではなくて、ほかの県の同じ土地改良のところに予算を回します。そちらは、優先度が第一番目で、地元から大変要望が強いですから」と、こういう話に当然なるわけです。
今、岩手県でも、いろいろな公共事業が、地域、地域で行われてきているわけですけれども、今の公共事業の仕組みというのは、地域として意見をまとめて、ほんとうに大事なことに重点特化しようとすれば、かえってお金が来ないという、実にばかげた構造になっているわけです。右肩上がりで税収が常に伸びている、或いは県予算が対前年度比何パーセント増ということが毎年続いていた時代には、確かに今までの仕組みでもよかったんですけれども、しかし、もう、そういう時代ではない。横ばいというか、右肩下がりというか、この間、経済企画庁の堺屋長官は、「うつむき加減」などとそんな表現をしていましたが、そういう時代に、本当に必要なことは、重点化を図るということだと誰しもが思うわけですけれども、残念ながら、それに合った仕組みになっていない。
それでは、例えば、国の方で公共事業間の調整を行っているかと言えば、本来資源の有効配分ということから言えば、なされてしかるべきだと思うんですが、現実には、国がそういう調整機能を全く放棄してしまっているわけです。例えば、私も建設省におり、予算の配分なんかもやっていたんですが、各省庁の予算の割合が大体決まっているんですね。その比率は、この30何年間ほとんど変わっておりません。例えば、公共事業について言えば、建設省が70パーセント弱、農水省が20パーセント、それから、運輸省が7パーセントといった具合です。これは、昭和40年からずっと変わりません。建設省が、昭和40年が68.9パーセント、平成10年で69.19パーセントと、常に68パーセントとか69パーセント台でコンマいくつかのところでしか変わっていないわけです。農水省はどうかと言えば、昭和40年に20.1パーセント、平成10年に19.34パーセントと、これも30何年間でやっぱりコンマ何パーセントしか変わっていない。運輸省だって、昭和40年、7.5パーセント、今も6.93パーセントとなっています。とにかく、省庁の配分というのは、ガチッと決まっていて、およそ予算にかかわっている人たちが一番知っているわけですが、省庁間で大幅に移動するなんていうことは考えられない。また、同じ省庁の中でも、例えば、道路と治水の割合というのは、道路のおおよそ2分の1が治水とシェアが決まっております。今、公共事業全体の中で28パーセントの道路予算があるわけですけれども、それに対して治水は常に13パーセント台から14パーセントと、こういう配分になっているわけです。
要するに、施設間の自由な資源配分の変更などということは、県単の事業では、常に行っているわけですけれども、およそ国では全くなされていないということです。公共事業ごとに応援団なんかがぶら下がっているから、そういうことが全くできないがんじがらめの仕組みになっているわけです。見かけ上は、暮れの予算時期になりますと、大蔵省が、予算編成にあたって今回はこういう形でメリハリをつけたとか言っていますけれども、果して大蔵省がそういうことをやっているかと言えば、結果として何もやっていない。確かに、大蔵省には主計官という予算を査定する人が省庁別にいて、省庁の中での必要性について査定していますけれども、仕上がりは全部先程言ったような形になっているわけですから、実態は何も変わっていないということになります。常に、省庁間の配分が決まってしまっていて、それを、それぞれの省庁の枠の中で再配分をしていくという仕組みです。だから、さっき言ったように、地域で今の時代に合ったように事業を重点化しようとしたら、かえってその地域の人々が損をするというか、そもそもそういう声をあげたら損をするという、実にばかげた仕組みになっているわけでございます。
では、何故このようなことが、今までずっと可能だったかと言いますと、これまでは、右肩上がりで予算が伸びていましたので、増えた分を、各地域にバラまいておけば何かしら事業が進むという感じがあって、地域や国民の皆さん方の重点化に対する要望を抑えることができたわけです。その結果、どんどん箇所数だけ増えて、いつまでたっても事業が終わらない、そして配分はいつまでたっても変わらないという状況がつくられました。それでも、何となくうちの箇所にも予算がついたなといったような、そういう気持ちになって納まってしまう。こういうのが今までの繰り返しだったのではないかと思っております。
しかし、これで、本当にこれからの世の中を舵取りしていけるんだろうかと思います。今は、国自身が何の指針も指し示せないような、パワーダウンしているような状況、しかも現実問題として30何年間営々として同じような繰り返しで、真の配分作業というものを全く放棄しているような状況ですから、これは、むしろ地域から変えていくしかないんではないかと思うわけです。

政策の決定は地域住民の選択で

私は、本来的には、地域づくりの上でどういう事業が一番必要なのかという問題について選択権があるのは、地域の住民だろうと思います。やはり地域の人たちが最終的な自己責任の中で判断をしていかなければならないと、こういうふうに思っているわけであります。そして、岩手県の中のことは、県知事が責任者として予算編成を通じて最終的な判断を下すべきではないかと、こういうふうに思っているわけであります。
今、地方の主体性を奪っているような仕組み、つまり、国に対して今までのようにどの事業についてもあれもほしいこれもほしいと、そういうことを言わないと金がどこかに逃げていってしまうというシステムを変えていく必要があります。要するに、この事業が一番大事だからこれをやってくれと言ったとたんにほかの事業が全部よそにいってしまうものだから、どの省庁に行っても、どの事業も地域にとって全部大事ですよというように、あっちも大事、こっちも大事と、ただそれだけを繰り返して言わざるを得ないというような現在の公共事業のあり方が極めて深刻な弊害をもたらしてきたのではないかと、そういうふうに思っているわけでございます。

今こそ変革の好機 −国依存体質からの脱却を−

今の、こうした公共事業なり補助事業のあり方については、いろいろ言われているわけですが、私が冒頭言いました地方分権とか地域主権ということを、今こそしっかりと実践しなければならないのではないかと考えております。と言うのは、それは単に時の変わり目、世紀末ということだけではなく、特にこの1、2年、日本経済の行く末というものが、形としてかなり見えてきていることにも関連いたします。日本において有史以来今までずっと右肩上がりで伸びていた人口が、2007年頃から初めて減っていくわけです。これまで全てが右肩上がりを前提として仕組みができあがっていたわけですが、それがちょうど崩れてくる、そういう時期だからこそ、今、事務事業の見直しだとか、行政改革だとかを、次の時代をしっかりと見据えて実行していかなければならない時期だと思っております。
次の県の総合計画というのは、実は、2010年までの計画なわけです。まもなく審議会から中間答申をいただいて、来月中には中間的な計画の姿というものを私どもで決めていかなければならないのですが、2010年までというのは、人口が初めて減少に転ずるという2007年がその中に含まれております。今までの社会構造をはじめあらゆるものが大きく変わる節目の時期を計画の期間として捉えた計画になるわけです。ですから、このことの意義というものを十分考えて、今こそ、例えば、事業を進めるに当たっても、中央省庁が予算消化のためにつまらない施設などをただ箇所づけのために押しつけてくるようなそんな補助事業については、地域で必要性を十分に吟味して、不要なものは断固として断るような、そういうしっかりとした目というものを我々自身が養っていかなければならないのではないかと、こういうふうに思うわけであります。
今まで30年間、或いはそれよりもっと前から同じような実態が続いてきているわけですけれども、そのことは、結果として、県なり市町村の実務を担当している人たちはもとより中央省庁でもかなりの部分は同じような作業の繰り返しですから、トータルとして、国、地方を通じた公務員の政策形成能力を奪うという形でしか働いてこなかったのではないかと思います。地方にとって、中央省庁への頼み方、陳情のやり方のうまい職員だけが重用される結果となり、地域の政策を判断するという能力を必要としないような行政体質になってしまったのではないかということが非常に気になるわけであります。
政が財源を調達するというときには、ご承知のとおり、とりあえず現下の税金で賄うか、或いは借金、これは将来返さなければならないわけであり、将来の税金と言ってもいいでしょう。もう一つは、今ある現有財産を売り払ってとりあえず財源を作る方法です。この現有財産というのは過去の税金で取得したものですから、結局は、過去の税金か、現在の税金か、将来の税金であり、国民或いは県民の皆様からお預かりをしている、そういうもので我々は仕事をしているわけです。
補助事業だとか公共事業などでは、何度も何度も頼み込んで国から金を取ってくるとか、いろんな人たちの力を通じて力ずくで金を取ってくるとか、いかにも他人事のようなことがよく言われるわけですが、結局は自分たちの金であるわけです。しかし、仕組みとして自分たちの意志の通らないような、そういう構造があって、よそから金を貰ってくるという誤った感覚になりがちなこの無責任さが、とどのつまりは国、地方合わせて500兆円にもなんなんとする累積の借金を今こしらえてきてしまったのではないかと思うわけです。
今のまま続けていると、資源配分が偏るという深刻な事態がもちろん生ずるわけでありますし、我々だけをみても、先程言いましたように政策形成能力がどんどん退化していってしまうことも懸念されます。頭の下げ方のうまい人間だけが重用されるというようなことが、これから決してあってはならないわけでありまして、そこで、私は、いわゆる地域主権ということをもっと真剣に考えて、国と地方の仕事のバランス、配分ということを変えていかなければならないのではないかと思っております。

変革は地域住民の理解を得て

これは、私にも責任があると思っておりますが、地方分権とか地域主権ということが、どういう意味合いを持っているかということの県民の皆様に対しての説明が今まで不十分であったのではないかと思っております。その本当の意味合いを我々自身が正確に理解していないため、地方分権或いは地域主権といったときに、すぐ次に出てくるのは、地方への権限や財源の委譲というところだけに着目して、それを自分たちによこせというような発想しかできなかったのではないかという気がしています。これからは、そういう言い方を真に反省しなければならないのではないかと、こんなふうに思っているところでございます。
最近、説明責任ということを言っておりますが、地方分権とか地域主権ということについて、我々は、もっと分かりやすくかみ砕いて県民の皆さんにお知らせする義務があると考えます。事柄の本質を理解していただく必要があるわけでございまして、そういうことから言いますと、地方分権の意味合いというものも、例えば、地域が一番必要とする事業を阻むような現在の構造的な仕組みを変えていくことだというように具体的にご理解をいただくよう、我々も努めていかなければならないと思うわけです。例えば、川についてみても、私自身、今年何回かシンポジウムに参加しまして、あちこちの川を川の中から見るという新しい視点にも触れる機会がありましたし、また来月の始めにも北上川流域連携シンポジウムの第二弾を宮城県で行いますけれども、そうしたことを通じて常に感じられるのは、河川なり治水事業というのは、これまで、地方自治体にとってみればアンタッチャブルの世界ではなかったかということです。国が直轄管理する河川が多数ありますが、川に固有の文化を育てるというのはまさしく地方の仕事であって、もっともっと、川に地方が関わっていかなければならないと思うわけであります。そのための政策形成をどういうふうにしていったらよいかなどというのは、地域、地域でしっかりと考えていかなければならない課題だと思うわけです。しかし、えてして、川をしっかりと守ることが先決だという画一的な発想から抜け出せず、また、公共事業のバラマキという深みにはまってしまう。こんなようなことが、現実の姿ではないかと思います。これは至るところで起こっている事柄のほんの一つにすぎないのではないかと思うわけであります。

事務事業の評価・検証が重要

岩手県も、平成4年頃から国の経済対策に極めて真面目にお付き合いしてきた結果が、県債発行残高九千億円と、年間の県予算額を超えるような今の財政状況を招いてきているわけです。交付税が、当時約束されたような形で本当に将来も担保されるかどうかもわからない。税収全体の額が増えないとすれば、それは名目上は財源の手当てがなされたことになるかも知れませんけれども、結局それは借金に借金を重ねることになり、決して根本的な解決にはならないわけです。
したがって、今、実施すべきことは、右肩上がりで予算が伸びていくというこれまでの考え方を一度全部白紙に戻して、事務事業の見直しと行財政改革にいち早く取り組むことではないかと思うわけです。そして、また、それができない地方自治体では、これからの地域経営に参画していけないと思っております。
予算のことについて分かりやすい例で言えば、昨年度から事務事業の評価制度を取り入れております。今までは予算が右肩上がりで伸びてきましたから、いろいろな地域からの要望に対してその伸びた分をどれだけ厳密な理屈で配分すればよいかというところだけに気をつけていれば、県民の皆さんにかなり満足度の得られるような予算編成ができたかというふうに思います。しかし、これからは、今年度の本県の当初予算がそうであったように対前年度比マイナスという事態が起こり得る、これは必定だろうと思っておるわけです。その時に、我々の日常的な業務をどういうふうに見直しをしていくのか、そして、行政ニーズというのは日々変化しているわけですし、特に、これからは環境問題や高齢化対策を始めとして深刻な問題がでてくることが考えられます。そういった新しい課題については、当然のことながら事業を重点化して予算を配分していかなければなりませんが、それを野放図に借金で全部やるわけにはいかないわけであります。自ら事務事業を評価する制度を導入したのは、いままでやっていた事業が本当に必要だったのかどうだったのかという、これまで我々がほとんど行っていなかった事業の評価をしっかり行い、削るべきところを削らないと、今までの右肩上がりの時代のような新たな財源が出てこないんだということにいち早く気がつき、これからは、結果を検証するという事務事業の評価の部分に一番の重きを置いていかなければならないと考えたからであります。
皆さんお分かりのとおり、国の補助事業については、一旦補助採択になれば、それがお墨付きみたいになって、予算がどんどん付き、その一方では、県の独自事業については、残りわずかな財源の中で、百万、五百万円といった予算を確保するのにも大変苦労してきたわけです。しかし、予算がついてしまえば、もちろん事業を実施するまではいろいろ気を使うわけですけれども、後は事業の成果がどうなるかということよりも、また翌年度の新規事業についてどうするかということに気を回すといったことが一般的ではなかったかと思います。2年、3年経ったあとでその事業が岩手の県土にどういう効果をもたらしたかと、その成果を改めて検証するなどということは、まずほとんどやられていない、そういうのが今までの実態ではなかったかと思うわけです。

情報公開の徹底と説明責任の努力を

今、県では、民間会社に県庁の業務の外部診断というものを行ってもらっております。まだ様子がよく分かりませんけれども、少し伝わってくる話では、事業の検証、事業の効果を評価するところが非常に弱いということのようであります。これから我々が仕事の上で、新しい課題に対応していくためには、今ある事業の成果をきちっと検証して、そしてその中で不要なものを全部削ぎ落としていかなければならないわけです。そこを、深く認識していただいて、成果を検証する作業に真剣に取り組んでいただきたいと思います。これは、実は大変難しい話でありまして、事業が今まで長く繋がってきているということは、一方では、いろいろな関係者の人たちが関係しているということでございます。まず、県庁でそれぞれの事業を担当している課の人たちにとっては極めて大事な話だろうと思いますし、それから、関係する団体も関係する人たちも多いと思います。そういう事業を切るということは、大変な作業であるし、抵抗も非常に大きいと思います。しかし、いつかの時点で、誰かがそれをやらなければならないとすれば、それを成功させる唯一つの要素というのは、事業の検証の過程を全て県民の皆様に公開して、その中で我々がやっている作業が良いことなのかどうかということをはっきりと示して、県民の皆様に理解をしてもらい、その上でいろいろな意見を頂戴するということに尽きるのではないかと思うわけです。別のことについて言えば、今までは、予算ができあがった段階で初めて外にオープンにするということでしたが、そうすると、できあがった時でないと予算化されているかどうかわからない。その後、もちろん議会に説明はしますが、そこまでで、県民の皆様に個別具体的に説明をするという我々の努力というものがあまりなかったわけです。そろそろ、来年度の予算編成時期ですが、もちろん、公共事業の再評価、或いは新規事業について、バラマキにならないようなキチッとした点数に基づく評価というのも大事だと思いますが、それ以上にもっと大事なのは、予算の内容についての県民の皆様に対する説明です。これは、ブロックごと、市町村ごと、或いは地域ごとにも行うべきものであり、やってや
り過ぎるということはないと思います。これは、県民により身近な市町村予算と同じように考えてもよいのではないかと、私は思っております。そういうことをしっかりと行っていくことによって、改めて次の年度についての県民の皆様の考え方というものがまとまってくるし、そのためにも、事務事業評価と予算編成過程の説明を丁寧にやっていかなければならないのではないかと、こんなふうに思っております。
県予算というものは、約九千億円と多額なわけでございますし、県民の皆様から見れば、これだけあれば、いろいろな工夫によって非常に多くのことがその中で実現できるのではないかと率直に思っておられるのではないかと思います。
新里村の予算をこの前見てみましたら、年度当初の予算が確か27億円位だったと思います。その位の額であれば、住民にとって、大体どういうことが村でできるかということが感じとして分かると思います。こんなことまで村にお願いしたら、とっても村では対応できないだろうということが分かるわけです。我々も、県予算の中でどういうことが可能なのかということを、県民の皆様に、しかも地域ごとに分けてはっきりと示すということが必要だと思います。これによって、翌年度あるいは翌々年度に向けてどういうことを地域でしていったらよいのか、どの部分は地元自身がやらなければならないのか、どの部分は県がやるべきなのかといったことまで含めて、本当に建設的な議論が可能になってくるのではないかと思うわけです。逆に、県民の皆様に県予算の内容を分かりやすく説明をしない場合には、よくあることですが、あれも県の方でやってほしい、これもやってほしいと、まさに今我々が国に対して言っているのと同じような話になってしまい、これでは、これからの岩手の県土づくりをしていく上で、決して良い結果はもたらさないと思います。全ての情報を示し、理解してもらった上で、地域でも大変でしょうけれども重点化を図っていただき、これが何年かで終わったら、次はこれですという優先度と順位づけをしっかりとしてもらわなければならないだろうと思います。要するに、あれもしてほしい、これもしてほしいということではなくて、AとBとを比較して、その上でAにしてほしいという比較優位の形を、地域、地域で作っていくというやり方にこれからは変えていかなければならないのではないか、こういうふうに思っています。県の様々な事業を進めていく上で、情報をできるだけ出して、県民の皆様に率直に判断してもらう。もちろん、そのことによって、県民が満足度の全てを得られるということは不可能でしょう。それは、人によって考え方が違うわけですから。しかし、なぜそれがだめだったのか、なぜこの順位なのかということを説明する中で、行政の人材が磨かれてゆき、そして仕事に対する責任感も出てきて、結局は冒頭に言いましたような、政策形成能力が養われるということに繋が
今、国の指導に従っているだけでは政策形成能力が向上しないと思うわけでありまして、地方の自治を制約しすぎたという国の犯した過ちから我々は即刻抜け出さなければならないと、こんなふうに思っているわけでございます。これは、確かに時間がうんとかかる話でありますし、また、手間のかかる話かもしれません。また、この30何年間の我が国の行政の欠点が、今全部この時期に一気に顕在化しているわけでありまして、それは一つひとつとってみれば大変な話かもしれません。しかし、地域の人たちも、自分たちの意見で物事が変わっていくということに気がつけば、それは、ある意味で、地域によっては、血を見るような争いになるかもしれませんけれども、本当に真剣な議論が展開されるだろうと思います。少し前、東和町で減反問題について、町内で様々な議論があったわけですけれども、あれも、結局は自分たちの考え方が、即、補助金の削減ということに繋がるからということで、非常に真剣で熱心な議論が行われたわけです。あれが、国の補助金を一律カットするような話であれば、岩手県全体で「それは、何だ」とかいう話になったかも知れませんが、一方では、決まっちゃったらしょうがないという、何か大勢に押し流されるようなことになったのかもしれません。しかし、自分たち一人ひとりの意見が物事の結果を左右するということになれば、地域の人たちもほんとうに真剣な議論をするわけです。それから、例えば、ある地域に箱物を建てる時には、こんな機能もほしいあんな機能もほしいとか、いろいろ要望が出てくるわけです。しかし、今の行政の体力がはっきりと分かっていれば、そして全部の情報が示されていれば、この箱物には最低限こういった機能が必要だが、それ以上の機能については、自分たちで負担をしていかなければならないのではないかとか、可能な範囲というものがよく分かるわけです。補助事業で、天から降ってくる金だから力ずくでぶん取ってきたほうが得だという今までのやり方が、先程も言いましたように、無責任な五百兆円という借金に繋がっていったということをもう一度噛みしめて、県民の皆様と議論を改めてしていく必要があります。それは、まず全体像を我々
が示すことから、そして地域、地域での各論を示すことから始まってくるわけでありますけれども、あわせて仕事のやり方というものを変えていかなければなりませんし、また、そのためには、単に情報公開するということではなくて、地方分権の意味合いということを分かりやすく説明するという我々の努力が必要です。「説明責任」という言葉のなかには、“分かりやすく”ということが含まれていると思うんですが、「地方分権」というのは、おそらく、県民の皆様の多くは、ただ単に国と地方で権限を争っているのではないかと、こういう構図で見られていると思います。知事をはじめ、県の役人たちが旅費を使って国に行って、何でもかんでも頭を下げてお願いするのはもう面倒くさいということで、それよりは、自分たちで決めたほうがいいんだからという、何か漠然としたそういう国と地方との権限争いみたいなイメージで思われているかもしれません。しかし、「地方分権」というのは、単にそういったレベルの話ではなくて、今の日本が陥っている過ちから抜け出ていくためには、地域自身が物事を責任を持って決めていくことが是非必要なことで、そういう過程にある話だということを、分かりやすく説明をすることが大事だと思います。これも、我々の説明責任という言葉の中に含まれることだろうと思っております。また、それ以外の事柄についても、ただ単にお知らせするのではなくて、今言ったように、もっと分かりやすく説明していかなければならないと思います。ですから、今、我々は大きな変革の時代に入っていくわけですし、仕事も全く未知の分野に入っていくわけですので、私は、とにかく前向きにやってみること、うまくいかなかったら、その時点でもう一度考えて変えていけばいいんではないかと考えています。今のこういう時代にはとにかくまず自らが行動を起こして、そして、その中でおかしいこと、うまくいかないことを学んで、変えていくべきだと、そういう仕事の仕方をしていかなければだめだと、こういうふうに思うわけでございます。

実行は、積極果敢にスピードをもって

いろいろな仕組みを変える、制度を変えるとなると、役人は、常にいろんなケースを想定して、例えば、こういうことが起きた場合には、これではうまく作動しないのではないかというようなことを心配しがちであります。それは、確かにそういった心配が起きてくることも十分考えられるわけであり、可能性としてはなくはないのですが、往々にしてそういう心配というのは極めてレア・ケースでして、私は、こういう場合は、まずやってみようということだと思います。そして、極めてレア・ケースではありますが、まずいことが起こったときには、その時点でもう一度やり方の工夫をすべきではないかと、こういう考え方、発想でいかないと、今の世の中の変化のスピードに対応していけないのではないかと思っております。
私も、よく地方振興局を回ったり、或いは県政懇談会ということで、県民の皆様から直接話を聞いているわけですけれども、仕事の進め方、やり方には、大きく分けて、ボトムアップとトップダウンとがあります。従来のやり方というのは、意見を取りまとめることを重視し、コンセンサスを得るという手法で、下からある程度時間をかけながらボトムアップ方式により全体的なコンセンサスを得てものごとを築き上げて来たということだろうと思うわけです。しかし、今は、それだけで仕事がうまくいくという時代ではないというふうに思っております。ある部分については、トップダウン的なやり方でスピードを重視して決めていかなければならない部分があると思っております。その時に、一番拠り所にすべきことは、県民の皆様の直接の声というものを座標軸の一番中心に置いて判断をしていくということではないかと思っております。県庁のように非常に大きな組織になりますと、トップダウンといっても、全てすぐに動くというようなわけにはまいらないと思いますが、要は、問題提起です。こういうふうにやるべきだとまず問題提起をして、そして、各論でいろいろ問題があっても、まず少し動いてみる。それで行けたらどんどん行くし、具合が悪いところがあったらそこのところで改めて考える。まず、動くこと、一歩踏み出すことが、非常に重要ではないかと思っております。
多様性の少ない横並び指向だとか、或いは前例踏襲主義だとか、チャレンジ精神の乏しさとか、いろんなことが役所の悪口として言われているわけです。休まず、遅れず、働かずとか、今までも、そういった様々な批判が言われております。もちろん、全て当たっているわけではありません。反面では、日本の役所というのは、どこも勤勉で、真面目で、世界のいろいろな自治体に比べてレベルが高いという評価もありますが、これは、全部が右肩上がりで伸びてきたという中で、その増えた部分の配分について真面目にやってきたという評価だったと思うんです。時代が変わっているわけですから、考え方をやはり変えていかなくてはならないと、こういうふうに思うところであります。
最近、仕事をやっておりまして気がつくことは、判断の早さとか、行動の速さということをもっと重視すべきではないかという点です。このスピードというのは、絶対的なスピードというものがあるわけではなくて、我々は、県民の皆さんを相手に仕事をしているわけですから、スピードが感じられるかどうかというのは、全く相対的な評価です。ほかの世の中の事象がものすごく早く動いているのであれば、いくら我々がスピードアップしたというふうに考えても、相対的に見ればどんどん距離が離されて、スピードがむしろ遅くなっていることもあるわけです。スピードが早いかどうかというのは、我々の過去の行政と比較してスピードが早いかどうかということを考えても意味がなくて、世の中の事象との相対的な比較の中で、スピードが早いかどうかということを判断していかなければならないということだろうと思うんです。確かに、これは時間があまりにもかかりすぎているなと思うことが、私自身ございます。せっかくこれだけ良いことをやろうとしているのに、時間がかかり過ぎるとポイントとなる時期を逃してしまうことになりはしまいかと気にかかることがあるわけです。よく、善は急げというふうに言いますけれども、善は、やっぱり急げであって、今は、そのスピードを過去の自分自身との比較ではなくて、世の中との相対的な比較の上で考えていくことが重要ではないかと思うわけです。ですから、逆にいくら自分たちの自己満足で、早いと思っても、世の中の事象から見れば後退をしているということがないようにやっていかなければならないと思います。よく、我々は、議会答弁などで「適時適切に対処します」とか言っておりますけれども、あれは今の時代には意味のない言葉であって、「即時即決でとにかくやります」ということに切り換えていかないとダメなんではないかと思います。それで、うまくいかないときは、結果からのフィードバックに基づき、変化を十分につけて、また次の事象に対応していくという方法に仕事のやり方を切り換えていかなければならないと思います。
話は変わりますが、日曜日の朝、テレビを見ていますと、政治家とか経済評論家の人が出てきて、これからの日本経済についての処方箋を述べているわけです。大体皆さんが言っていることは、最近は似たような形になってきておりますが、実際に世の中そういうようにうまくいっているかと言えば、相変わらず諸外国からいろんなことを言われておりますね。リーダーシップが足りないだとか、日本はどうなっているのかとか、ジャパンマネーで世界経済が全部変なふうに回ってきているとか、ありとあらゆる非難が寄せられているわけです。結局、それは何かと言いますと、スピードをもって果敢に物事を実行していくというところに欠けているという点です。トウ・リトル、トウ・レイト、余りにも小出しだし、余りにも遅いということが再三言われているわけです。しかしながら、そういった批判にもかかわらず我が国のシステムというのは、そういうふうにしか動いていないということではないかと思います。そうじやなくて、今、処方箋はいっぱいあるわけですから、まず、地方から、我々で動けるところから動いていくということが大事じゃないかと思います。、スピードをもって、そしてやれるところから果敢に実行していくということが、これからの岩手県にとって一番必要なことではないかと、そんなふうに思っています。

組織の活性化は、外部の目と住民参加から

小回りの利くベンチャー企業のように数人で、しかもお互いに気心が知れた人間でテリトリーを狭めた組織というのは、組織論の一般として極めて柔軟で、かつ機敏なこまねずみのようにどんどん状況の変化に対応して自己革新していける組織なんです。一方、組織体として見れば県庁が県内で最大の組織であって、図体もでかく、そしてまた、いろんな仕組みが過去からの積み重ねでできあがってきております。
これから一番気をつけなければならないのは、制度的補完性という言葉で言われるようでありますけれども、県庁のように成熟した大きな組織になればなるほど、組織本来の存立目的から離れて、組織そのものをできるだけ永続させるような行動原理に走ってしまいがちだという点です。本来の目標を見失って、組織の維持、保身に走ってしまう、そういうことが県庁の文化の中で主要な要素を占めてくるようになる、そこが一番恐れなければならないところだと思っております。これは、一人ひとりが常に自覚をしていかなければならないことであります。組織がいくら大きくなろうとも柔軟で若々しい組織体を保つことができるのは、そういったことに陥らないような仕掛けがいろいろなところにできあがっていて、そして常に競争の最先端に立っているというような組織であると思います。意思決定を非常に早くしたり、様々なチェック機能を付加したりということを柔軟に取り入れていくようないろいろな仕掛けが必要でありますが、その中で共通して言えるのは、組織論の人達に聞いてみましても同様ですが、自分たちだけの判断に陥らないよう、外部の目というか外からの風を常にあてるということです。外からの風に晒されるということは、非常に寒い思いをする訳ですし、身がちじみ、凍り上がるような思いもする訳ですが、そうしたことによって、自らも緊張感を持って仕事をしていくことができるわけです。県庁の組織の場合ですと、金の使い方については内部監査制度があり、事業を進めていく上では審議会だとか、県民の声を反映させるためのいろんな制度がありますけれども、結局どちらの方向を向いて仕事をしなければならないかというようなことに尽きると思います。県民の皆様の方向を向いて、全ての目線をそちらに向けて、生活者の視点に立ってわれわれの仕事がどれだけできあがっているかということを全部県民の皆様に公開するということが必要だと思います。審議会の先生方にもある程度緊張感を持って自分の専門知識について弁を述べてもらうし、我々自身も外からの目に晒されながら、組織、特に巨大な成熟化した組織が陥りやすい欠陥に陥らないような工夫をしていかなければならないと思っ
ているわけです。これから、県庁の組織の効率化だとか、あるいは執行体制の簡素化を図るためには、外部診断ということが役立つだろうと思っており、それはそれで得るところはありますが、いま言ったような意識の面が、本質的には一番大事な話であって、様々な分野で生かされていかなければならないと思っています。そのためには様々な手続きの過程で県民の皆様の参加ということを考えていかなければなりませんし、説明と参加ということの繰り返しの中で、現場から多面的にフィードバックしていくという方向に変えていきたいと思っております。

前例に捕らわれず常に時代背景に合わせて考える

国、県、市町村という行政体の三層制が今後もずっと続くかどうか、あえて地方について県と市町村を置いていることがどう言う意味合いなのかということには議論があると思います。また、地方振興局のあり方についても議論があると思いますが、私自身最後まで忘れないようにしなければならないと思うのは、組織というのは過去からのいろいろな知恵の積み重ねで出来上がっているものであって、過去の知恵というものは尊重しなければなりませんが、あくまでもそれはその時々の効率性なり、行政需要に対応するために我々人間が作り上げたものであり、当然のことながら、必要な場合には柔軟に作り替えていかなければならないものだということです。その際、過去から営々と積み上げてきたそういう知恵というものが本当に今の時代に合っているかどうかということをよく検証する必要があります。古くからの知恵というものは、往々にして今の我々の生き方にも非常に示唆に富むものを含んでいるものでありますが、その過去というのがどう言う時代だったのかが大切です。バブル期のような右肩上がりで経済がどんどん延びていった時の知恵としてでき上がったものが今の時代に過去の知恵と言えるものなのかどうか。もっとずっと以前に遡ると、江戸時代なんてのは完全な封鎖経済であり、経済のパイとしては少しずつは広がっていたけれども、ほぼ横ばいと言ってよい世界であったわけですから、そういう中に現在と共通するものがあるかどうか、当時の知恵として今我々が学び取れるものがあるのかどうか、前例などはそういう時代背景を見ながら考えていかなければかえって失敗することがあると思います。
話はあちこち飛びますが、今、多くの地方公共団体で第三セクターの問題が火を噴いております。大阪府などでも何千億円もの第三セクターの赤字を抱えており、公的資金をつぎ込んで、清算業務に移行していかなければならないという状況のようであります。詳しくは私は知りませんけれど、発足当初の経緯から見ると、日本の経済がどんどん成長している時期に、効率性を一番重視している民間企業の知恵と、経営の安定性と公的な信用力というものを確保する上での官のいいところを両者ミックスして、いいとこ取りをして事業を進めて行こうということで、たくさんの第三セクターができたわけであります。しかし、今殆どがうまくいっていない。これは、ただ単に第三セクターの固有の問題とか、出資母体だけの責任ではなく、時代が変わってきているという時代背景があると思います。従って、今は、官の悪いところと民の悪いところの双方が全部出てきてしまって、にっちもさっちもいかなくなっている、そういった事例というのもあるわけであります。今の時代背景に合う過去の知恵というのは、ただ単に昔のものを全部寄せ集めればよいということでは決してなくて、そこに時代の吟味という大きな作業が入っていかなければならない、先程言いましたような事務事業の評価、検証という作業が入っていかなければならないということだろうと思います。

事業の執行は、岩手スタンダードの確立で

私は、今日、一点だけ皆様に申し上げたかったわけであります。極論すれば、今、国の事業のやり方を見ると、あれは参考に値しない。国を参考にすると岩手県を悪くするというぐらいにまず思っていただいて、そして自らの一つひとつの事業を厳密に検証していかなければならないということです。従来は、国の指導に忠実に従っていたわけですが、右肩上がりの発想を変えられないような国の考え方からは、できるだけ早く脱却していかなければならないと思うわけであります。一つひとつの事業について十分な検証をしていくということは、我々も大変なことでありますし、地域にとってもいろいろなしがらみだとか、古い因習に囚われるといったこともあるわけです。しかし、何十年と続いてきた右肩上がりの社会経済が転換するという大事な時期に相応しい県計画を作っている時でありますから、公共事業の配分がこの20〜30年もの間コンマ何パーセントしか変わらなくて、それでも事業の様々な見直しを行ったと言っているような国の例は即刻忘れて、自分たちの基準を新たに作って、自分たち自身の物差しで判断をしていかなければならないと思います。そこでは、過去の時代の前例ということが役立つわけでもありませんから、自分たちの考えということになるわけでありますが、結局は情報を全部開示して、その上で、地域の英知を結集するということが出発点になるのではないかと思うわけであります。
先日、議会答弁の中で岩手スタンダードとか岩手地元学ということを言いましたけれども、われわれの拠って立つところは、結局、先祖が与えてくれたこの広大な岩手の県土であり、この空間の中で変化の時代を先取りしたこれからの県土づくりをしていくという、この一点にかかっているわけであります。先人が弛まぬ努力と、自らの知識、卓越した識見によって様々な分野で偉業を成し遂げてきたという歴史があるわけでありますので、今こそ、この地で岩手スタンダードというものをしっかりと確立していかなければならないと思います。そのためには、地域のことをうんと勉強することが大前提になると思います。県内では、地域、地域で、多くの人たちが仕事の時間を割きながら、あるいは余暇の時間をフルに使いながら様々な地域づくり活動を展開しているわけであります。そういう姿勢から学び、そして我々自身もそういった活動にどんどん積極的に頭を突っ込む、そういう中から先ほど言ったような視点、視線というものが養われてくるのではないかと、こんなふうに思っています。
ちょうど時間になりました。最近私自身いろいろ考えておりますことを申し上げたわけですが、最近の社会経済情勢をはじめとする変革の流れと根っこが共通している部分が非常に多いというわけでございます。この私の話もあくまでも問題提起でございまして、それぞれ皆さんがそれぞれの職場や仕事のやり方の中でいろいろとお考えいただければありがたいというふうに思っております。

若い職員に考える時間と余裕を

最後に申し上げますが、最近、振興局を含めて大勢の若い職員たちと会う機会がありますが、とにかくもう忙しくて、忙しくてさっぱり仕事のことを余裕持って考える時間がないということを皆異口同音に言います。確かに話を聞いたり、見ていると、今日これをやらなくちゃいけないということがたくさんあって忙しそうでありまして、夜、県庁の前を通ると電気がこうこうとついてますし、土、日も結構皆さん出勤して来ているようであります。しかし、ずっとそういう状況を繰り返していますと、さっき言ったように何かお題目みたいに国の補助事業をもらうだけが自分の仕事、手柄みたいなことになって、大事な政策形成能力を、今、一番磨くべき若い人たちがそれができないということになってしまうんではないかと思っております。ですから、今日お集まりの管理職の皆様、主幹以上の方々だと思いますけど、仕事の上で、若い人達が今日、明日、明後日、一週間の間でやらなければならない大事なことは何かということを的確に指示していただいて、その上で、仕事のことを余裕を持って考える時間を作っていただきたいと思います。私は、本当は土、日は県庁をロックアウトして、県庁の人達が登庁しないということにしたいわけです。管理職の人達にはどんどん仕事をしてもらっていいのですけど、それ以外の人達には、仕事も大事ですが、これからの県の行政のあり方などというもっと大事なことをゆっくりと考えてもらうような職場環境にしていかなければならないんじゃないかと思っています。そのためには、夜6時で県庁の電気を消しても良いのではないかとも思っております。国会の時期になりますと、特に事業課なんかはそうだと思うんですが、夕方、急な調べ物とか、国会答弁の関係資料の提出依頼だとかがよく国からボンボン来るわけです。あんなのは本当は断らないといけないと思いますし、もし、やるんだったらちゃんと残業手当を国に請求したいぐらいに思うわけです。とにかく、そういったことはできるだけ減らすように私も言いたいと思いますけれど、それはそれとして、我々の中でできる部分、我々の中で見直しできる部分をできるだけ改善していただくことが大事です。今後は、県職員の人
数は絶対に増えませんから、今ある戦力、或いはこれから県職員となる人たちの政策形成能力を高めていかなければなりません。先に進む針路、海図がない時代でありますから、若い人達に県行政の今後のあり方をゆっくり考えていただく時間を確保するような配慮をお願いしたいと思います。

県民の信頼と負託に応える行政を

最後は、お願いになりましたけれども、今まで皆様方が一生懸命各分野で誠実に仕事に取り組んでいただいていることに本当に感謝を申し上げたいと思います。
これから、寒い時期になってきますが、一方で予算編成作業が待っております。今年は、編成作業の過程から全部外にオープンにしたいと考えていますが、それは先程のような意図から申し上げているわけでございます。緊張感を持って仕事をしていく上ではそれが一番だと思っております。是非皆様方にもそうした考え方をご理解賜りまして、県民の皆様方の信頼、負託に応えるような行政を展開していただければと思っております。私もそのつもりで頑張らせていただきたいと思っておりますが、今日の私の話も問題提起でございますので、また折に触れまして皆様方の方から考え方をお聞かせいただければと思っております。
私からのお話は以上で終わらせていただきたいと思います。どうもご苦労さまでございました。

岩手県
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